後期流産で気づいたこと|母もこの子を“祖母として”失っていた

流産体験

後期流産を経験すると、「悲しんでいるのは自分たち夫婦だけ」と感じてしまうことがあります。

私もそうでした。

でもある日、母の何気ない一言で、娘は私たち夫婦だけでなく、祖父母や家族にとっても大切な存在だったのだと気づきました。

この記事では、後期流産を経験した私が、母とのやり取りを通して気づいたことを書きます。

私たち夫婦は、子宮頸管無力症が原因で後期流産を経験しました。

突然の別れで、明るい未来しか想像していなかった私は、心の準備なんてまったくできていませんでした。

我が子を失った喪失感は想像以上に大きく、何をしていても心が晴れず、前を向いて生きていく気力もなく、ただ時間だけが過ぎていく毎日でした。

▶︎ 後期流産の体験については、こちらの記事で詳しく書いています。

妊娠21週で赤ちゃんを亡くしました|子宮頸管無力症による突然の後期流産体験記

あの頃の私は、「この悲しみは私たち夫婦だけのものだ」と、どこか思い込んでいました。

性格は違うけれど、仲の良い母

私の実家は、飛行機で帰るほど遠方にあります。

母は、ピュアでどこかメルヘンチックな性格です。

私は反対に、どちらかというと現実的な性格です。

昔は性格の違いから、同じ出来事でも感じ方が違うことで、言い争いになることもよくありました。

でも今は、お互いの性格を理解したうえで、ほどよい距離感で付き合えるようになりました。

そして、上の子が生まれてからは、2日に1回はビデオ通話をするような関係です。

電話口で、ただ黙って聞いてくれた

後期流産の直後は、義母が駆けつけてくれていたため、実母とゆっくり話す時間はほとんどありませんでした。

義母が帰って日常に戻ったある日、亡くなった娘のことを思い出し、どうしても誰かに聞いてほしくなって母に電話をしました。

悲しみの中、うまく言葉にできない私の話を、母はただ静かに聞いてくれました。

否定もせず、励まそうともせず、ただ相槌を打ちながら受け止めてくれました。

その時間が本当にありがたく、「私は一人じゃないんだなぁ」と少しだけ思えたことを覚えています。

「お地蔵さんに線香あげてるの」

それから少しずつ、娘の話をすることが増えていきました。

最初は話すだけで苦しかったのに、いつの間にか「生きていたら、どんな毎日だったんだろう」と振り返れるようになっていました。

そして、数ヶ月後の月命日の日に、私は母に、

「ピンク色のお菓子を買って、娘を思いながら食べたよ」

と話しました。

すると母は、穏やかな声でこう言いました。

「お母さんもね、小さいお地蔵さんに線香あげてるの。あんたのお兄ちゃんもするって言ってたよ。」

その言葉を聞いた瞬間、胸がぎゅっと締めつけられました。

私はずっと、「悲しんでいるのは私たち夫婦だけ」だと思っていたからです。

娘は、私たち夫婦だけの存在じゃなかった

そのとき初めて気づきました。

娘は、私たち夫婦だけの存在ではありませんでした。

両親にとっては、祖父母として迎えるはずだった孫。

兄にとっても、大切な家族の一人。

私が「夫婦だけの悲しみ」だと思っていた喪失は、家族それぞれの中にも静かに存在していたのです。

そのことに気づいたとき、悲しみの色が少しだけ変わった気がしました。

自分の気持ちを出さずに、ずっと寄り添ってくれていた

今思えば、母は娘の話になるといつも私の話を聞いてばかりでした。

自分の気持ちについて話すことは、ほとんどありませんでした。

それはきっと、私を心配させたくなかったからだと思います。

ピュアな性格だからこそ、娘を失った悲しみをそのまま受け止めていたはずです。

それでも自分の気持ちは表に出さず、私に寄り添ってくれていました。

そのことに気づいたとき、母への感謝と申し訳なさが同時に込み上げてきました。

子どもの悲しみを自分のこと以上に受け止め、そっと支えてくれていた母の大きさをあらためて感じました。

それ以来、母は上の子にも今まで以上にたくさんの愛情を注いでくれるようになりました。

プレゼントを贈ってくれたり、言葉で愛情を伝えてくれたり。

亡くなった娘の存在が、今も母の心の中に確かに生き続けているのだと感じています。

悲しんでいるのは、自分たちだけじゃなかった

流産した直後の私は、「悲しんでいるのは私たち夫婦だけ」だと思っていました。

でも実際には、娘のことを想い、静かに悲しんでいる家族がいました。

もし今、後期流産や死産で大切なお子さんを亡くし、「自分たちだけが悲しい」と感じている方がいたら、少しだけ周りを見渡してみてください。

言葉にはしなくても、同じようにその子を想い、悲しんでいる人がいるかもしれません。

娘は私たち夫婦だけの子どもではなく、家族みんなに愛されていた存在でした。

そのことに気づいてから、娘は「失われた命」ではなく、「たくさんの人に愛され、今も大切に想われ続けている命」だと思えるようになりました。

周りのひとに愛された娘は本当に幸せな子だったと思います。

私にとっても、とても誇らしい存在です。

▶︎ 娘とのお別れの日については、こちらの記事で詳しく書いています。

火葬の日、空に虹が出ました|後期流産で娘を見送った日のこと

コメント

タイトルとURLをコピーしました