※この記事には、流産・死産に関する体験談が含まれています。読むタイミングは、ご自身の心の状態に合わせてください。
はじめに
私は妊娠21週で、子宮頸管無力症により赤ちゃんを亡くしました。
それまで妊娠は順調で、「まさか自分が」と思ったことすら、ありませんでした。
この記事では、出血に気づいたその日から出産までの出来事を、できるだけありのままに書いています。
同じ経験をされた方、あるいは不安を抱えながら妊娠中を過ごしている方に、少しでも届けばと思い、当時のことを振り返りながら書きました。
妊娠は順調だった。だから、まさか自分がなるとは思っていなかった
この妊娠は2回目でした。上の子はまだ1歳。体外受精で授かった子でしたが、妊娠の経過はとても順調で、つわりも比較的軽く、甘いものが少し食べたくなる程度でした。
育休中で仕事はお休みしていたので、体への負担も少なく、穏やかな日々を過ごしていました。安定期も過ぎていたこともあって、「もう流産する可能性は低いだろう」とどこかで安心していたんだと思います。
3週間前の妊婦健診でも、子宮頸管の長さについては特に何も言われていませんでした。だから、まさか自分が子宮頸管無力症になるとは、想像もしていなかったのです。
突然の出血。でも、その時はまだ「大丈夫」だと思っていた
その日は、上の子と午前中に地域の子育て支援センターで遊んでいました。体調の変化も何もなく、ごく普通の一日でした。
その後、初めて上の子と2人だけで外食に行こうと思っていて、出かける前にトイレに寄ったとき——出血していることに気づきました。
おりものシート1枚分ほどの、茶色い出血。腹痛はなく、体調も変わらなかったので、「不正出血かな?」くらいに思っていました。
でも、妊娠中だし念のため受診しようと思い、たまたまその日は休みで外出していた夫に連絡して、合流してクリニックへ向かいました。
クリニックで告げられた、予想外の言葉
内診のとき、先生が小さな声で呟きました。
「これなんだろ……あー、胎胞が出てきてるね……」
そして内診が終わると、こう声をかけられました。
「ご主人もこちらへ呼べますか?一緒にお話を聞いてもらえますか?」
その言葉を聞いた瞬間、胸がざわっとしました。ただ事ではない、と。
夫は駐車場で待っていたので、上の子を連れて急いでクリニックに来てもらいました。そして2人で、先生の説明を聞きました。
「この状況だと、妊娠継続はかなり厳しいと思います」
当院でそのまま処置を行うこともできる。大学病院に転院して妊娠継続を目指す選択肢もある。でも——
「正直にお伝えすると、今回は妊娠継続はほぼ難しい状況です」
突然のことで、状況をすぐには受け止められませんでした。医療職として知識はあったはずなのに、「まさか自分が」という気持ちと、どこか冷静でいようとする気持ちが、同時にありました。
救急車で大学病院へ。午前11時から、世界が変わった
クリニックが大学病院に連絡を入れてくれました。MFICUは満床でしたが、調整して受け入れてもらえることになり、そのまま救急車で転院することに。クリニックの看護師さんが付き添いとして一緒に乗ってくださいました。
出血に気づいたのは午前11時頃。あの時はまだ、その日のうちにここまで状況が進むとは、思ってもいませんでした。
夜、陣痛が始まった
大学病院に到着してからも、同じような説明を受けました。昼も夜もまだ何も食べていなかったので、夫には一度外に出てご飯を食べてきてもらい、車で少し仮眠を取ってもらうことにしました。
夜22時頃、陣痛が始まりました。思っていたよりもずっと強い痛みで、1時間ほどで耐えられないくらいになりました。夫にLINEを送り、急いで戻ってきてもらいました。
陣痛が始まっていたその時も、まだ胎動がありました。
お腹の中では生きているのに、外では生きられない。
昨日まで何も異常がなかったのに。その現実が、どうしても信じられませんでした。
夫は約1時間、出産に立ち会ってくれました。そして、夜中の1時半頃——赤ちゃんが生まれました。
生まれてきてくれた娘のこと
生まれてきてくれた赤ちゃんは、女の子でした。
本当は次の妊婦健診で性別がわかったら、おにぎりでジェンダーリビールをする予定にしていました。夫がずっと温めていた名前があって——陣痛のときも、生まれてからも、その名前で呼んであげました。
とても小さくて、でも、とても可愛い子でした。
一晩、娘と一緒に過ごした時間
病院の配慮で、赤ちゃんはコットンの上に眠った状態で、私のベッドのそばにいてくれました。何度も顔を見ました。何度も。
小さなサイズの洋服を着せてもらい、柄は夫婦で一緒に選ばせてもらいました。写真も撮り、手形も残してもらいました。
短い時間でしたが、娘と一緒に過ごせた、大切な時間でした。
同じ経験をした人の存在が、私を救ってくれた
あれから、約4ヶ月が経ちました。
最初の数日は、SNSを見ることができませんでした。同じような経験が目に入るのが怖くて、それ以上何も受け取れないくらい、心が壊れてしまっていた気がします。
でも、少し経ってから——今度は自分から、同じ経験をした人を探すようになりました。
同じように赤ちゃんを亡くしながら、それでも日々の生活を送っている人がいる。時間が経つ中で、少しずつ前を向いて歩いている人がいる。
そんな投稿を見て、初めて「私にも、そういう未来が来るのかもしれない」と思えました。
リアルな生活の中では、同じ経験をした人に出会うことはほとんどありません。だからこそ、同じ境遇の人の気持ちに触れられたSNSの存在に、本当に救われました。
この経験を書こうと思ったのも、あのとき私が誰かの体験を探したように——いつか誰かがこの文章にたどり着いたとき、少しでも「自分だけじゃない」と感じてもらえるきっかけになればと思ったからです。
もし同じ状況になった方へ
突然のことで、何が起きているのかわからないまま時間が過ぎていくこともあると思います。私自身も、当時は現実を受け止めることがとても難しくて、ただ時間の流れに身を任せていました。
悲しみ方も、立ち直り方も、人それぞれでいいと思います。SNSを見ることがつらい時期があっても、逆に誰かの言葉に救われる時期があっても——どちらも、あなたのペースで。
もしこの文章にたどり着いた方がいたら、どうか自分の心を守ることを、一番に大切にしてください。
そして——あなたは、一人ではありません。

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